DJクラーク・ケントことロドルフォ・フランクリン(Rodolfo Franklin)が57歳で死亡。
ヒップホップ界のトッププロデューサーであり、生粋のスニーカー好きとしても知られる DJ Clark Kent(DJクラーク・ケント)が現地時間2024年10月24日に57歳で逝去した。 家族がInstagramを通じ、大腸癌との3年間の闘病生活の末、逝去したことを発表した。
DJ Clark Kentことロドルフォ・フランクリン(Rodolfo Franklin)は、30年もの間、ヒップホップとR&Bの舞台裏と表舞台両方で活躍してきた。 Dana Dane(ダナ・デーン)の1987年のデビューアルバム『Dana Dane With Fame』で初めてDJクラーク・ケントの名前を聞いた人も多いだろう。 彼はやがてHip-Hopの歴史に残る偉大なMCを発掘する上で中心的な役割を果たすことになる。
ケントは自身がプロデュースしたJay Zの初期の師匠であったジャズと古くから親交があり、その結果、ケントは早い段階からJay Zの才能を見抜いていた。 また、クラークはThe Notorious B.I.G.も知っており、Jay Zとビギーをスタジオセッションで紹介し、やがてこれはジャンル最高のコラボレーションのひとつとなった。
DJクラーク・ケントの制作履歴書を見ると、Jay Zの「Cashmere Thoughts」や「Brooklyn’s Finest」、Hi Five 5の「Hard To Get」、Little Viciousの「Nika」、The Treacherous 3の「Feel The New Heartbeat」、Junior Mafiaの「Players Anthem」や「Get Money」、Mariah Careyの「Lover Boy」など、90年代のヒップホップとR&Bのベストプレイリストのラインナップ。
90年代初頭、クラークはニューミュージックセミナーのDJバトルの司会を引き継ぎ、「クラーク・ケントのスーパーマン・バトル・フォー・ワールド・シュプリマシー」と改名。 さらに、クラーク・ケントはD.J.スクラッチ、リッチー・リッチーと共に、プロデューサーとD.J.の相互強化と経済的自立を目的としたスーパーマン連合を結成。 そのD.J’s連合は現在も活動している。
Rest In Peace Clark Kent.
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