第1章: ナイキの象徴 “Swooshロゴ”とは?その起源に迫る。
ナイキの象徴である“Swoosh”ロゴの誕生には興味深い秘話がある。1971年、ポートランド州立大学でグラフィックデザインを学んでいた当時の女子大学生 Carolyn Davidson(キャロライン・デイビッドソン)は、後のナイキ社になる「ブルーリボンスポーツ(BRS)」という会社からロゴ制作の依頼を受けた。彼らは新しいランニングシューズのブランドを立ち上げる計画をしており、そのためのロゴが必要だったのだ。デイビッドソンは、創業者のフィル・ナイトから与えられた指示を元に、そのロゴをデザインすることとなった。
第2章: ロゴの意味とデザイン
デイビッドソンは、アスリートが速さや動きの流れを表現するようなデザインを目指した。彼女は、ギリシャ神話に登場する勝利の女神『ニケ』が持つ翼をイメージし、その動きを表現。そして、その結果、流れるような曲線で構成された“Swoosh”(スウッシュ)が誕生した。このロゴは、ランナーが速さを感じるようなイメージとして完璧に機能し、ナイキのブランドアイデンティティを確立するのに深く貢献することとなる。
第3章: ロゴ制作の報酬とその後
ロゴ制作の報酬としてナイキがデイビットソンに払った報酬は、当時の水準から見ても比較的ささやかな時給2ドル。そして約17時間でデザインを制作した彼女に払われた額はわずか35ドルだったという。その後1980年12月にナイキは新規株式公開(IPO)を果たす。上場後の1983年、ナイキは世界で最も認知度の高いロゴのひとつを生み出した彼女の重要な役割を認め、キャロライン・デイビッドソンにダイヤ入りの金のスウッシュリングと、ナイキ社の株式を贈った。株式の正確な枚数は公表されていないが、噂では当時の500株。デイビットソンはこれを売却せずに保有し続け、現在は計7回ほどの株式分割後を経て約64,000株になったとみられる。変動はあるものの年間配当金だけで日本円で約1,000万円以上を受け取ることとなったのだ。(*常に変動あり)当時の報酬は少なかったものの、結果的に彼女がデザインを手がけたあの17時間は、キャロライン・デイビッドソンの芸術的貢献と評価を象徴する最高の瞬間となった。
第4章: ロゴの進化と影響
“Swoosh”ロゴは、ナイキの成長と共に変化し続けた。最初はシンプルなデザインだったが、時間が経つにつれて微調整され、より洗練された形になっていった。さらに、このロゴはスポーツウェアだけでなく、さまざまな製品やコラボレーションでも使用され、世界中の人々に影響を与え続けている。その象徴的なデザインは、ナイキが世界的なブランドとなる過程で不可欠な要素となり、現在でもその価値と影響力を保っている。ナイキのロゴは単なるデザインではなく、ブランドの象徴としてこれからも世界中の人々に愛され続けていくだろう。
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